生徒会長の4コマ
かつて、自分は「生徒会長」をやっていたことがありました。過去の話です。
今でこそジョークやユーモアを語れますが、もしかしたら。どこかであの出会いが無ければ、あの言葉を自分が発しなければ…一毫もユーモアを見いだせないカチカチの人間になっていたかも知れません。
今は、真剣とオチャラケ、バカとマジメの狭間で生きています。
その、オチャラケや、バカの部分も教えてくれた大きな一つは僕にとってはおそらく「4コマ」でした。
そんな、「生徒会長と4コマ」のストーリー全4話を以前noteに載せたのですが、ブログにもまとめることにしました。
以下、リンクです(何らかの影響でリンクが切れていたらすいません)。
noteマガジン(全話)
https://note.mu/fukujin/m/m4a5cd7d2db14
第1話 起
https://note.mu/fukujin/n/n6c4f6e023e8d
第2話 承
https://note.mu/fukujin/n/nb7d28a5a7232
第3話 転
https://note.mu/fukujin/n/n79eb93b61de8
第4話 結
https://note.mu/fukujin/n/n4fe257b22c9f
(完)
夢日記 第二夜
気が付いたら私は面接会場にいた。パイプ椅子に座り、背筋を伸ばし、拳をやんわりと握り、まるで「就活マニュアル」にでも載っているかのような姿勢で自分の名前を呼ばれるのを待っていた。
「インスタント」という名前の会社らしく、名の通り、「インスタント」の商品を扱っているようだった。
周りにも数名の就活生、顔色は総じて悪く、緊張を通り越して「気持ち悪い」とでも言いたげな表情を浮かべていた。
(面接というのは過酷なものだ、なにも人格を否定されたわけではないのに、面接に落ちただけでこちらは人格を否定されたかのような絶望感の渦に陥る。あちらに人格を否定されていようがいまいが、こちらはそちらに「奉仕しよう」と臨んでいるのに、落とすのは酷というものだ。齢二十代の将来不鮮明・心身不安定な時期に面接をぶつける世の中なんて、木綿豆腐にヘビー級チャンピオンの右ストレートを思い切りぶつけるようなものではないか。あまりにも酷だ。)
などと半ば支離滅裂な下りも含んだ感想を抱いていると、ついに自分の名前が呼ばれた。
大柄な試験官が突然口を開き、「差別的な醜い意識を無くすために重要なのは何だと思うかね?」
と問われたので、驚く間もなく、私は咄嗟に
「≪どんな人にも強みがある≫、≪どんな人にも弱みがある≫、そして≪どんな人にも過去がある≫と想像できる力、それを受け止める心だと思います」
と答えた。それを受けて試験官は
「合格だ。ただし、次の質問に応えられたらな」
と続けた。
そして試験官は「『安楽』について思う全ての所感を言え。特に、現代のものについて」と続けた。
あまりにも唐突な質問に私は尻込みしたが、咄嗟に、
「安楽は人を腐らせることもできるし、人を成長させることもできる。それを分岐するのは『自治』ではないかと私は結論付けます。自らを試練たらしめる刺激に対して、各々の持つ経験からくる反応により刺激対象を忌避し、その結果得られる安楽。もう1つは刺激対象そのものを駆逐し、一切の忍耐も伴わず自閉的に苦痛を殲滅することで得られる安楽。このままでは、現代社会の歯止めの利かない技術発展の中で安楽を失いたくないという、安楽への隷属からくる不安、つまりは≪安らぎのない安楽≫を含蓄する人々が増えていくのではないかと思われます」
と寝言のように呟いた。決してクリティカルな返答ではないと直感したが、試験官は
「残念だ。もう少し、面接を続けてみようか。という判断に至った。」
という私の返答に対するフィードバックを返した。
次に試験官は一呼吸おいて、
「あなたの正直さを問います。あなたの狡猾さは生きていますか?死んでいますか?」
と質問した。私は、これまでを馬鹿正直に生きてきてしまったので
「死んでいます。」
と答える他なかった。ここで「生きています」と答えれば、「狡猾さ」が評価されたのだろう。私は「正直さ」を評価してもらう選択肢を選んだ。さて、この選択が、この企業にとっては吉なのか、凶なのか…。
試験官はフゥと一呼吸おいて
「しょうがないな」と呟き、「次の質問へ移る」と続けた。
「今まで食べたインスタントの味と、食べた場所を教えてね」
急にタメ口になったので驚いてしまい、咄嗟に記憶を手繰り寄せ
「日清カップヌードルのチリトマト味です。下北沢駅で終電を逃してしまい、泣く泣くコンビニで買ったチリトマトを啜りながらカラオケに泊まったのをよく覚えています。あの味は忘れられません。」
と答えた。試験官は「チリトマト、美味いよね」と呟いた後、腕を組んだ。
今更ながら気が付いたが、試験管の腕には油性ペンで「ぼくに与えられたぼくの一日をぼくが生きるのをぼくは拒む」と書かれていた。私は「そういう人もいるんだなぁ」という感想を持った。
試験官はウンウンと唸った後、遂に口を開いた。
「最後に質問です。前方後円墳は好きですか?」
「…意味が分かりません」
「なんだと!?私は讃岐うどんのほうが好きだ!この部屋から出ていけ!」
私は、どうやら面接に落ちたようだ。世の中は、酷だ。
そう思った瞬間に、目が覚めた。
サボタージュ・トリップ
"運転手さんそのバスに
僕も乗っけてくれないか
行き先ならどこでもいい"ブルーハーツ「青空」より。
日常から非日常へ向かう旅。気持ちがふわふわする旅。ふらふらと、あてもなく彷徨う旅。効率のかけらも感じられない、非生産的な旅。
「サボる」という語は「サボタージュ」からきている。「サボタージュ」の意味を調べると
「仕事などを怠けること。 過失に見せかけ機械を破壊する、仕事を停滞させるなどして経営者に対し損害を与える事で事態の解決を促進しようとする労働争議の一種であるフランス語」
とある。労働に対する抗議、ストライキの一種とも言える。
「会社とは逆方向の電車に乗り込む」…そんな旅を「サボタージュ・トリップ」と名付けたい。「オーストリッチ・トリップ」と言ってもよいかもしれないと思ったが、やめにした。
「オーストリッチ」は英語で「ダチョウ」を意味するが、ダチョウは危険を感じると砂に頭を埋め、脅威の対象が目に入らないようにするという俗説から「現実逃避者」の意味としても使われる。この語には「見ないようにしても危機がなくなるわけではないのに、愚かだ」というニュアンスが伴っている。
「逃げる」ことを悪として捉える風潮は未だに残り続けている。「ゆとりだ」「俺たちを置いて逃げるのか」「怠慢だ」…そうした雰囲気が、残業サービス、有給とらない、は当たり前。という日本の企業精神を作っているんじゃないだろうか。
「逃げるは恥だが役に立つ」。通称「逃げ恥」として一時期ムーブメントを巻き起こした。恋ダンスのやつだ。
メッセージ性のある直球タイトルが苦痛な通勤退勤を繰り返す現代サラリーマンに響いたのかもしれない。苦痛なら、逃げてもいいのだ、と。
壊れては、どうしようもない。逃げることは大切だ。
その行為は、現実逃避者ーーオーストリッチーーーかもしれない。
しかし同時に、時代に対する必死の抵抗ーーサボタージューーでもあるのだ。
日常から非日常へ向かう旅。気持ちがふわふわする旅。ふらふらと、あてもなく彷徨う旅。効率のかけらも感じられない、非生産的な旅。
声を大にして言えないことを、声を大にして言える旅。
有給がとれても、とれなくても。身体が、精神が。
時代に、社会に抗うならば。「サボタージュ・トリップ」をするべきなのだ。
北海道でも、沖縄でも、近場のカフェでも海外でもどこでもいい。
実家でもいい。
その中で感じる諸々が、これからの方向性を定め、感情を豊かにし、その日にありふれた日常を過ごす「価値」を遥かにに上回る、自分の人生にとって計り知れない「価値」を生み出すかもしれない。
夢日記 第一夜
前書き
この夢日記は、私が夢を見て、かつ、覚えている範囲で書き起こすことができた範囲の内容である。
ーーーー気がついたら、大きな研究施設のような場所にいた。おそらく、かなり有名な大学なのだろう、と思った。
何故か何者かに追われているらしく、私は走っていた。長い長い廊下を抜けると、他にも逃げている仲間がいることを思い出した。
他に逃げている仲間は、どうやら何人か捕まっているようだった。現実にはそんな名前の友人はいないのに、何故か「タクヤが捕まった」ということだけは認識していた。
「タクヤ」はリーダー格で、身体能力が高く信頼にも厚い(という設定)を思い出し、私は急に不安に襲われた。「タクヤが捕まったのだから、私も捕まるだろう」と確信した。
走っていても、何故か疲れない。スタミナという概念が消え去ったかのように私は長い間、かなりのペースで走り続けた。その間、廊下から階段、研究室のような部屋、音楽室のような部屋、体育館のような空間を通過したが、全くヒト(及び、動く物体)に会うことは無かった。
しばらく走っていると、「自分を追跡するものは、どんな姿をしているのだろう?」という好奇心が生まれてきた。
しかし、「追跡者」の姿は依然として見ることは出来ず、ただただ、自分が走っていると後ろから追い掛けている足音が聞こえるだけであった。
不思議と不気味には思わず、ただただ好奇心が生まれた。足音はするのに、実態はない。これは、幽霊の類なのではないか、と思い胸が高鳴るのを感じた。恐怖を微塵も感じることなく、「幽霊」を捜索する意志が固まった。
「追跡者」は私の中で「幽霊」になり、私が「追跡者」となり、「幽霊」を追いかけ始めた。
私が踵を返し、足音のする方に走り始めると、逃げるような足音が聞こえた。
どうやら「幽霊」は私から逃げているようだった。
「追跡者」になった私は楽しくなり、夢中になって幽霊を追いかけ回した。どこまで走っても、やはり疲れることはなく、足音は止まなかった。
廊下を走っていくと、突き当たりにシャワールームがあり(正確には、「シャワールームはこちら」という張り紙が見えた)、幽霊を遂に追い詰めたことを直感した。
足音がシャワールームに吸い込まれ、足音が止んだ。私は胸が躍った。遂に幽霊の正体が分かると思い、走るのをやめ、歩きながら、ゆっくりとシャワールームに近づいた。
恐怖を一切感じることなく、まるで純粋無垢な子供の興味だけを掻き集めたような好奇心で、ゆっくりと左目からシャワールームをのぞき込むと、そこには
身長180cmを超えた大男が、ドーナツを持って立っていた。
顔は藻で出来ていた。
私は「幽霊」の正体を目の当たりにした瞬間に全身の毛が逆立つような恐怖を感じ、「ヤバイ」と直感し踵を返し走り始めた。以前の倍以上のスピードで、その場から逃げる確固たる決意をした。
すると、また、後ろから足音が聞こえてきた。私の速度を上回るほどの「ダッダッタッ」という力強い足音に更なる恐怖を覚え、私は全身に目一杯力を込め、加速した。
そんな中、「踵を返す」という行為が「追う者」と「追われる者」の役割を変えるということに気付いた。というより、以前タクヤが言っていたような気がしていたことを思い出した。
しかし、「幽霊」の正体におぞましさと気持ち悪さを感じた私は、もう振り返りたくないと既に心に決めており、選択肢は「前を向いて逃げる」ことのみに限定されていた。
全力で走る中、トイレがあったことを思い出し、個室に立てこもろうと企てた。
案の定、その企てを閃いた後すぐにトイレを発見し、私は一目散にトイレの個室に駆け込んだ。
鍵をかけようとすると、外から開けようとする強い力が働いていることに気づき、全力で鍵をかけ、息を切らし、その場に座り込んだ。
しかし、このままではマズイという感覚に襲われ、どうにか脱出しようと、周りを見渡した瞬間、目の前に「全身が藻に包まれた優しそうなオジサン」が現れ、何故か安心感を覚えると、
急に睡魔に襲われ、
そこで目が覚めた。
居酒屋物語
「上司に阿諛するような真似はするな」という経験則に基づき、毒バナナでゴリ松課長の頭部を渾身の力で、ひっぱたく。
瞬間、課長の頭皮に張り付いていたと思われる黒々とした鬘が、あらぬ方向へと等速加速直線運動で飛んでいく。
ゴリ松課長の毛根が既に死滅していたことを審らかにした事件から5日。僕は、軽佻な行動を恥じ、罪悪感で呻吟しつつ、ポテトチップス(ゴーヤ味)を食べていた。
巧まざる僕の純真さが引き起こしてしまった剣呑な行動。部署内では既に「アイツは純真だ」との噂が喧伝され、もう戻れそうにない。
幸甚なことに、親しい友人も彼女も皆無であった。励ましのメールなど無いかと持ち得る全ての連絡ツールを悉皆調査しても、そこにはいつも通りの「0件」の文字が浮かんでいた。
九時、忸怩たる思いにも挫けず「クジラの無花果付け」という九ツ字のお気に入りメニューを食べるために居酒屋「YES!ゴルゴンゾッチュ!」に向かう。僕の心の拠り所であり精神の恃みであり最期の綱だ。
何から話していいものか、と暖簾の前で逡巡していると中から「何があったか知らないけど、入りなよ…」とオヤッサン(29歳・♀・AB型・独身・座右の銘は「ウェーイ!」)の声が聞こえてきた。「シルエットで分かるよ…」そう呟くオヤッサンは些か滅茶苦茶怖かったが、席に着くと「いつも」の雰囲気に張り詰めた心が寛解を覚えた。
いつもはここに常連の馴染みがいる。相手のことばの語尾を、絶えずオウムのように繰り返す田代。相手の目を常に覗き込みながら聞く吉田。「それで?」という促しの相槌を絶え間なく挟む小林。
常ならば悉く顰蹙を買う彼らの一挙手一投足も、今日この時だけは私に安寧を与えてくれた。今日だけはオーストリッチでありたい、沢庵とグラタンを渋茶で胃に流し込みながら、素直に思った。(完)