小説「社畜のお正月」(4116字)
あけましておめでたくなんかない。
「新しい朝が来た」「希望の朝だ」
もう僕には、夏休みの早朝に聞けるような健康的な歌詞文句が心に響くような精神的純粋さは無かった。
きっとみんな世の中正月ムードで、テレビを見ればワハハして、炬燵に入ればヌクヌクしてるんだろうな。
だけど、そういう幸せが国民全員に分け与えられているわけもない。
残業だ。
意味がわからなければググって欲しい。
僕だって意味がわからない。
残業だ。
残業でしかない。
ハッピーニューイヤー!イェー!
という祝賀の祝詞も
「新しい年(年と書いて労働期間)が訪れてしまった」というアイロニーにしか聞こえない。
2016年になった。新しい朝だ。
「新しい朝」なんて毎日来るけれど、
この日だけはお日様のお出ましが妙に神々しく感じられるらしい。
PCに向かってプログラミングを打ち込んでいた僕には、朝日を見ることなどできなかった。
そもそも、「年が変わった」という実感すらない。
室内は暖房が聞いていて、頭もぼうっとしている。そういう意味での思考の麻痺もあるだろうけど、もっと大きい意味での「実感がない」。
いつからだろうか。あまり「記念行事」というものにアニバーサリーを感じなくなったのは。
日本は記念行事が多い。日本独自の行事に加えて、クリスマスやバレンタインなどを輸入して、その数は余りあるものになった。
僕だって、確か、クリスマスはちゃんとドキドキしていたはずだ。
小5の頃までは。
サンタさんをこの目で見るまでは絶対に寝ない!という好奇心に駆られて僕はこっそり起きていた。
一昨年、去年と睡魔と格闘したが、あえなく負けてしまったために、その年は張り切っていた。
好奇心というよりも、
本当にサンタはいるのか?
という「疑念心」が大きくなっていたことも睡魔に打ち勝った一因だろう。
そして僕は「真実」を目撃した。
皆までは言うまい。
グリーンランドにいると思ったサンタさんは、実は日本在住だったというだけの話だ。
若しくは、会社勤めのハズのお父さんが、実は兼業で、赤白コスチュームに身を包みトナカイを操る謎の運送会社に副業として勤めていた。
それだけの話だ。
「ものは言いよう」をこの辺から学んだ。
そこからはトントン拍子で、夢のある行事や、「かけがえのないイベント」も減っていった。
「かけがえのないイベント」とは一様に言えるものの、ちなみにそれは、学校行事としての修学旅行であったり、高3最後の夏であったり、まぁだいたいそんな所だ。
そして今に至る。
僕はプログラミングの仕事に就き、所謂「IT土方」として日々を送っている。
どうしてこの仕事に就いたのかは自分でもよく分からない。
高校の頃は文系だった。
理系のコースだったのだが、頭の中は文系だった。
数学をやっていると、なんだか自分が機械になったようで、嫌気がさしたのだが、何故か理系の方が成績が良かった。
文系の教科は好きだったのだけど、何故か成績が伸びなかった。
先生の勧めもあって、僕は「得意」を選択した。
「好き」ではなく。
そして今に至る。
日の出の見れない今に。
神はきっと僕に「機械になれ」とあらましをかけたのだろう。
それならもういっそ機械になってやろうじゃないか。
人間的なようで、機械。
…それが俺だ。
1つ贅沢を言うのなら、正月らしく、雑煮の餅でもすすりたかったな…
かがみもちでもいい…越後製菓の…あの…正解のやつ…
こうして僕の意識は遠のいていった……
————七年後————
僕は思ったよりも「機械」になっていた。
「お餅を食べたい」という願望がフォルムになって現れ、白く丸い美味しそうなロボットになって、人の役に立つように仕事をこなす毎日を送っている。
かつての僕のように心と体を蝕まれた人間がこれ以上増えないように。
そんな僕の決め台詞はこうだ。
「私はベイマックス。あなたの心と体を守ります」
【〜ベイマックス誕生秘話〜】【完】
あとがき
どうも。急速すぎるオチに混乱してたらすいません。それが狙いです。
今回は、なんか話が一人称視点で淡々と進んでいきつつ、最後の方で突然の急展開が終わって、訳も分からないまま終わってしまうような、そんなプチ小説を書きたくてこの話を作りました。
はてなブログだと、画像でベイマックスが出るので、多少「なんでベイマックス?」という部分で煽れるかと思ったのでベイマックスをオチに使いました。
ちなみにベイマックスはこんな生まれ方してません。真実は映画の方です。
あと、日本の正月も、社畜の皆さんとか、楽しめない人もいっぱいいるんだろうなぁ、と思って書きました。
ホントにガンバレって感じです。
それでは。