ななはち文庫

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サボタージュ・トリップ

"運転手さんそのバスに
僕も乗っけてくれないか
行き先ならどこでもいい"

ブルーハーツ「青空」より。

 

日常から非日常へ向かう旅。気持ちがふわふわする旅。ふらふらと、あてもなく彷徨う旅。効率のかけらも感じられない、非生産的な旅。

「サボる」という語は「サボタージュ」からきている。「サボタージュ」の意味を調べると

「仕事などを怠けること。 過失に見せかけ機械を破壊する、仕事を停滞させるなどして経営者に対し損害を与える事で事態の解決を促進しようとする労働争議の一種であるフランス語」

とある。労働に対する抗議、ストライキの一種とも言える。

「会社とは逆方向の電車に乗り込む」…そんな旅を「サボタージュ・トリップ」と名付けたい。「オーストリッチ・トリップ」と言ってもよいかもしれないと思ったが、やめにした。

「オーストリッチ」は英語で「ダチョウ」を意味するが、ダチョウは危険を感じると砂に頭を埋め、脅威の対象が目に入らないようにするという俗説から「現実逃避者」の意味としても使われる。この語には「見ないようにしても危機がなくなるわけではないのに、愚かだ」というニュアンスが伴っている。

「逃げる」ことを悪として捉える風潮は未だに残り続けている。「ゆとりだ」「俺たちを置いて逃げるのか」「怠慢だ」…そうした雰囲気が、残業サービス、有給とらない、は当たり前。という日本の企業精神を作っているんじゃないだろうか。

逃げるは恥だが役に立つ」。通称「逃げ恥」として一時期ムーブメントを巻き起こした。恋ダンスのやつだ。

メッセージ性のある直球タイトルが苦痛な通勤退勤を繰り返す現代サラリーマンに響いたのかもしれない。苦痛なら、逃げてもいいのだ、と。

壊れては、どうしようもない。逃げることは大切だ。

その行為は、現実逃避者ーーオーストリッチーーーかもしれない。

しかし同時に、時代に対する必死の抵抗ーーサボタージューーでもあるのだ。

日常から非日常へ向かう旅。気持ちがふわふわする旅。ふらふらと、あてもなく彷徨う旅。効率のかけらも感じられない、非生産的な旅。

声を大にして言えないことを、声を大にして言える旅。

有給がとれても、とれなくても。身体が、精神が。
時代に、社会に抗うならば。「サボタージュ・トリップ」をするべきなのだ。

北海道でも、沖縄でも、近場のカフェでも海外でもどこでもいい。

実家でもいい。

その中で感じる諸々が、これからの方向性を定め、感情を豊かにし、その日にありふれた日常を過ごす「価値」を遥かにに上回る、自分の人生にとって計り知れない「価値」を生み出すかもしれない。

 

 

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