ななはち文庫

自作の小説やコラム、日記やエッセイなどの文藝倉庫。

居酒屋物語

 「上司に阿諛するような真似はするな」という経験則に基づき、毒バナナでゴリ松課長の頭部を渾身の力で、ひっぱたく。

瞬間、課長の頭皮に張り付いていたと思われる黒々とした鬘が、あらぬ方向へと等速加速直線運動で飛んでいく。

ゴリ松課長の毛根が既に死滅していたことを審らかにした事件から5日。僕は、軽佻な行動を恥じ、罪悪感で呻吟しつつ、ポテトチップス(ゴーヤ味)を食べていた。

巧まざる僕の純真さが引き起こしてしまった剣呑な行動。部署内では既に「アイツは純真だ」との噂が喧伝され、もう戻れそうにない。

幸甚なことに、親しい友人も彼女も皆無であった。励ましのメールなど無いかと持ち得る全ての連絡ツールを悉皆調査しても、そこにはいつも通りの「0件」の文字が浮かんでいた。

九時、忸怩たる思いにも挫けず「クジラの無花果付け」という九ツ字のお気に入りメニューを食べるために居酒屋「YES!ゴルゴンゾッチュ!」に向かう。僕の心の拠り所であり精神の恃みであり最期の綱だ。

何から話していいものか、と暖簾の前で逡巡していると中から「何があったか知らないけど、入りなよ…」とオヤッサン(29歳・♀・AB型・独身・座右の銘は「ウェーイ!」)の声が聞こえてきた。「シルエットで分かるよ…」そう呟くオヤッサンは些か滅茶苦茶怖かったが、席に着くと「いつも」の雰囲気に張り詰めた心が寛解を覚えた。

いつもはここに常連の馴染みがいる。相手のことばの語尾を、絶えずオウムのように繰り返す田代。相手の目を常に覗き込みながら聞く吉田。「それで?」という促しの相槌を絶え間なく挟む小林。

常ならば悉く顰蹙を買う彼らの一挙手一投足も、今日この時だけは私に安寧を与えてくれた。今日だけはオーストリッチでありたい、沢庵とグラタンを渋茶で胃に流し込みながら、素直に思った。(完)