ななはち文庫

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夢日記 第二夜

気が付いたら私は面接会場にいた。パイプ椅子に座り、背筋を伸ばし、拳をやんわりと握り、まるで「就活マニュアル」にでも載っているかのような姿勢で自分の名前を呼ばれるのを待っていた。

「インスタント」という名前の会社らしく、名の通り、「インスタント」の商品を扱っているようだった。

周りにも数名の就活生、顔色は総じて悪く、緊張を通り越して「気持ち悪い」とでも言いたげな表情を浮かべていた。

(面接というのは過酷なものだ、なにも人格を否定されたわけではないのに、面接に落ちただけでこちらは人格を否定されたかのような絶望感の渦に陥る。あちらに人格を否定されていようがいまいが、こちらはそちらに「奉仕しよう」と臨んでいるのに、落とすのは酷というものだ。齢二十代の将来不鮮明・心身不安定な時期に面接をぶつける世の中なんて、木綿豆腐にヘビー級チャンピオンの右ストレートを思い切りぶつけるようなものではないか。あまりにも酷だ。)

などと半ば支離滅裂な下りも含んだ感想を抱いていると、ついに自分の名前が呼ばれた。

 

大柄な試験官が突然口を開き、「差別的な醜い意識を無くすために重要なのは何だと思うかね?」

 

と問われたので、驚く間もなく、私は咄嗟に

 

「≪どんな人にも強みがある≫、≪どんな人にも弱みがある≫、そして≪どんな人にも過去がある≫と想像できる力、それを受け止める心だと思います」

 

と答えた。それを受けて試験官は

 

「合格だ。ただし、次の質問に応えられたらな」

 

と続けた。

 

そして試験官は「『安楽』について思う全ての所感を言え。特に、現代のものについて」と続けた。

 

あまりにも唐突な質問に私は尻込みしたが、咄嗟に、

 

「安楽は人を腐らせることもできるし、人を成長させることもできる。それを分岐するのは『自治』ではないかと私は結論付けます。自らを試練たらしめる刺激に対して、各々の持つ経験からくる反応により刺激対象を忌避し、その結果得られる安楽。もう1つは刺激対象そのものを駆逐し、一切の忍耐も伴わず自閉的に苦痛を殲滅することで得られる安楽。このままでは、現代社会の歯止めの利かない技術発展の中で安楽を失いたくないという、安楽への隷属からくる不安、つまりは≪安らぎのない安楽≫を含蓄する人々が増えていくのではないかと思われます」

 

と寝言のように呟いた。決してクリティカルな返答ではないと直感したが、試験官は

 

「残念だ。もう少し、面接を続けてみようか。という判断に至った。」

 

という私の返答に対するフィードバックを返した。

 

次に試験官は一呼吸おいて、

 

「あなたの正直さを問います。あなたの狡猾さは生きていますか?死んでいますか?」

 

と質問した。私は、これまでを馬鹿正直に生きてきてしまったので

 

「死んでいます。」

 

と答える他なかった。ここで「生きています」と答えれば、「狡猾さ」が評価されたのだろう。私は「正直さ」を評価してもらう選択肢を選んだ。さて、この選択が、この企業にとっては吉なのか、凶なのか…。

 

試験官はフゥと一呼吸おいて

「しょうがないな」と呟き、「次の質問へ移る」と続けた。

 

「今まで食べたインスタントの味と、食べた場所を教えてね」

 

急にタメ口になったので驚いてしまい、咄嗟に記憶を手繰り寄せ

 

「日清カップヌードルのチリトマト味です。下北沢駅で終電を逃してしまい、泣く泣くコンビニで買ったチリトマトを啜りながらカラオケに泊まったのをよく覚えています。あの味は忘れられません。」

 

と答えた。試験官は「チリトマト、美味いよね」と呟いた後、腕を組んだ。

今更ながら気が付いたが、試験管の腕には油性ペンで「ぼくに与えられたぼくの一日をぼくが生きるのをぼくは拒む」と書かれていた。私は「そういう人もいるんだなぁ」という感想を持った。

 

試験官はウンウンと唸った後、遂に口を開いた。

 

「最後に質問です。前方後円墳は好きですか?」

 

「…意味が分かりません」

 

「なんだと!?私は讃岐うどんのほうが好きだ!この部屋から出ていけ!」

 

私は、どうやら面接に落ちたようだ。世の中は、酷だ。

 

そう思った瞬間に、目が覚めた。